10月20日 月曜日。
午前中は
自分のメンテナンスへ。
午後から母のところへ。
たまたま妹も仕事が休みの日で
3人で過ごす午後のひととき。
母はベッドの上で静かに前を見たり目を瞑ったり。
私と妹はそばに座ってあれやこれやの世間話。
ちょうどおやつの時間だったので
『何か食べる?』と母に聞きながら、保管していたお菓子たち
を手元に差し出すと、おかきをチョイス。袋は開けることはできないけど食べるのは自分で食べられる。
小さなおかきを一つだけ食べてお茶を飲んで、またしばらくベッドでまったり。
しばらくすると痰が絡んだ咳をし始めて、
たまにそんな時もあるから
あんまり気にしてなかったのだけど
何分かおきに同じような咳が続き
『なんだかいつもより咳が長引くなあ』と思っていたら
痰の絡みぐあいが大きくなり
『ママ、痰出せる?』と聞いても返事せず。
そのうち
吸う息、吐く息、どちらにも
ガラガラと痰が絡んで
呼吸しづらそうになってきて
スタッフさんを呼びにいく。
併設デイサービスの看護師さんが部屋に来てくれて
血圧や酸素を計測。
『うちの施設は痰の吸引ができなくて…』とのこと。
酸素数値が90を切り
救急車を呼んだ方がいいということに。
急に物々しい雰囲気になり
私の心臓はバクバクしはじめた。
最初は近所の病院でいいかなと話してたのだけど
救急隊の方に最近かかった病院は?と聞かれ
昨年手術した病院を伝えると
「そちらの方に連絡します。」
と言ってくれて、
少し遠いのだけど、水頭症の手術をした病院まで搬送してくれた。
妹が救急車に乗り込み、
私は一旦自宅に保険証などを取りに帰って、娘たちに
『ばあばが救急車で運ばれたから今から病院行ってくるね』と伝え、夫にもLINEで晩ごはんの算段を依頼して、
急ぎ車で病院へ。
痰をきれいに吸引してもらいさえすれば
帰れるのだと思っていた。
でも意外な展開に。
病院に到着する前に
救急の待合室にいる妹から
メッセージが。
『なんか入院になるみたい』
先生の説明では
痰が絡んだ原因は
『左の肺にかなりの水が溜まっている』ことによるものだそうで
CT画像で、おそらく持病の悪性リンパ腫が悪化してターミナル(末期)の状態とのこと。
・・・
そうだった、、悪性リンパ腫だったんだ。
でも『認知症』を理由に
治療はできないと言われて
今症状が強く出ているわけではないなら様子見することになって一年。
どこか痛がってるわけでもないし高熱がでるわけでもない、、
水頭症の術後
意識レベルがあがり
会話のキャッチボールも
ほとんど一方通行だったのが
2.3回往復できるようになってたし、笑うときだってあったから
このまま順調に回復して
あわよくば歩けるようになってくれたら、、と期待していた矢先に。
急転直下。
でも冷静に考えると
少しずつ進行してたんだろう。
無理にでも血液腫瘍内科をもう一度受診して
抗がん剤治療してほしいと伝えた方がよかったのか?
どんどんネガティブになっていく。
せっかく横浜から連れてきたのに
せっかくセカンドオピニオンで
水頭症の手術できたのに
せっかく自分でお箸持ったりできるようになってたのに
なんで?
なんで?
私はただ
ママと普通に話したりご飯食べたりしたいだけなのに。。
色んな想いが押し寄せてきて
病院からの帰り道
涙が止まらなかった。
このまま家に帰るのは絶対無理だと思った。
そこで
近くに住む友人に
今からお茶できる?と連絡
慌てて駆けつけてくれた。
泣き腫らした顔で
あれこれ話をきいてもらって
少し気持ちも落ち着いて
ようやく帰宅できた。
この日から何かが止まってしまった感覚が続き
ブログもずっと更新できずにいました。
10月20日から入院になった母。
嚥下ができなくなり
経鼻栄養から
12月8日に胃ろうをつける手術を受けました。
年明けには療養型の病院か施設に移動することになります。
サロンを終えた後はしばらくは母の時間と娘の受験サポートと
自分自身を癒す時間にしたいと思います。
10月13日にママノワ終了を発表してから
たくさんの方々の愛にパワーをいただいていて
おかげさまで体調崩すことなく元気に過ごせてはいますが
ゆっくり文章を書く時間がなく
もしかしたらこのブログが最後になるかもしれません。
でもそれでもいいかなと思っています。
長文読んでくださりありがとうございました。













