今日は、先日行った瞑想会でわたしの中に起きたことをシェアしようと思います。
わたしのあまり楽しくない過去にも触れるのですがよかったらお読みください。
・
・
この日のテーマは「存在~presence」
わたしたちは「吐く」「吸う」という作業を絶え間なく繰りかえしていて
その循環と調和の中で存在することができる。
そんな、当たり前だけど大切な「呼吸」に意識をむける「マインドフルネス」
瞑想会では
35歳のわたし
25歳のわたし
15歳のわたし
5歳のわたし
に想いを馳せながら
「わたし」という存在を「呼吸」とともに感じる時間を過ごしました。
<35歳のわたし>
なかなか子どもが授からず、毎月の生理に落ち込んだり、知人の妊娠を素直に喜べなかったりと、真っ暗なトンネルにいた数年間。そこから治療を経てようやく妊娠し、第一子を出産したのが35歳。
そのころのわたしは出産も難産で身体が回復するのも遅かったし、産んでからも初めての育児に戸惑う日々で心の底から楽しい気持ちで過ごしてはいなかったです。
そんな私を夫がいつも支えてくれてました。家事もしてくれるし、しんどいときはスイーツを買ってきてくれる。
ありがたい存在。
<25歳のわたし>
旅行会社時代のわたしは、アメリカやカナダ、オーストラリアに一人で研修に行ったり、東京のマンスリーマンションに泊まりながら1か月出張したりしていました。そこまで英語がペラペラでもないのに、トランジットとか自分でもどうしていたか覚えていないけど、ラスベガスでカジノ見学しようとしたら子どもに間違えられたのは今でも鮮明に覚えています。
同僚からも上司からもすごく大事にされていました。
巻き爪で会社を休み「痛いんです~!」ってオフィスに電話したらわざわざお見舞いに家に駆けつけてくれるくらい。
<15歳のわたし>
中学校では吹奏楽部に入っていたけど、高校受験で難関校をめざしていた私に、母が部活を辞めるように言いました。
泣きながら抵抗したけど逆らえず、残り3か月のところで退部。
同級生に退部の話をすると「落ちぶれたもんやね」と言われものすごく傷ついたのを覚えています。
3年生最後の定期演奏会で感動のセレモニーをしているのを客席から見るのは結構辛かったです。
今のわたしの子育ては反面教師によるものは大きいです。
勉強とかピアノの練習とか私の口から「○○しなさい」とはほとんど言わないです。
おかげで本当にのびのび育ってくれています。
私が取ったことないようなテストの成績だったりするけど(笑)
人として素敵に育っているのが何よりも嬉しい。
<5歳のわたし>
浮かんできたのは家の前にあった「ちびっこひろば」という公園と、
一人で空想遊びをする私の姿。
空想は今でもします。
だから企画とか好きなんだと思う。(数秘3も持っている)
瞑想の時は家族の姿は出てきませんでした。あまりそのころの記憶がないかも。
後から聞いた話だけどそのころは母は嫁姑問題で大変だったみたい。。
・
・
こんな風に少しずつその時の「わたし」を振りかえっていたら
自然と涙があふれてきました。
いろんなわたしがその時代のその瞬間に「存在」していたんだなあと思うと
ギューっと自分のことを抱きしめたくなりました。
それと同時に湧き起ってきた感情。
それは「これまでの人生で関わってきた人への感謝」。
出会ってくれてありがとう。
新しく出会う人もいれば、離れてしまった人もいるけれど
すべて意味のあることで、すべてつながっているんだな。
母も、厳しかったけど私をこの世に生んでくれた唯一無二の人。
愛情ゆえの厳しさだったのだと思う。
そしてこの日記を読んでくれた方にも
心からの感謝を伝えたいです。
いつもありがとうございます。